赤ちゃんがいても安全に使える暖房器具

家に赤ちゃんがいると暖房器具選びも安全性を第一に考えたくなるものです。
石油ストーブは万が一赤ちゃんが触ってしまったら高温やけどをしてしまいます。
それに燃焼を伴う暖房のため締め切った部屋で長時間使用することはできず、定期的な換気が必要になります。
そういった心配がない暖房だと例えばエアコンがあります。
しかしエアコンの温風が直接体に当たるのが苦手な人もいるでしょうし、風により埃が舞い上がったりして赤ちゃんが喉を痛めたりしないか心配ですね。
また、エアコンは据え置きなので部屋の移動をしたり、キッチンや脱衣所に持ち運ぶことができません。

そこでおすすめしたいのが遠赤外線パネルヒーターです。

  • 赤ちゃんが触っても高温やけどをしない
  • 風が出ない
  • 燃焼しない暖房なので換気不要
  • 持ち運びが簡単

このような特徴があります。

遠赤外線パネルヒーターを購入する場合には、さらに安全性を高めるために下記の点にも注意して選んでください。

  • 異常高温防止装置
  • 転倒安全装置
  • 赤ちゃんの指が入らない構造のヒーター部分

異常高温防止装置というのはヒーターの上に洗濯物やシーツなどがかぶさってしまった場合に、電源が自動オフになる機能のことです。
転倒安全装置というのは地震などでヒーターが傾いたり転倒したときに自動電源オフになる安全機能のことです。

あとは必要に応じてタイマー機能などがついているものを選ぶといいのですが、タイマーはホームセンターなどで売っているコンセントタイマーで代用できます。

注意点として寒冷地や気密性の低い家では遠赤外線パネルヒーター一台で部屋を暖めるのは難しいです。
しかしそういった場合でも一度エアコンで部屋を暖めながら遠赤外線ヒーターを併用して、部屋が暖まったらエアコンを切って遠赤外線パネルヒーターだけにするという使い方でカバーできることもあります。

赤ちゃんがいる家庭におすすめの遠赤外線パネルヒーターについて、具体的にどんな商品があるのか知りたい人は下記のサイトを参考にしてください。
>>赤ちゃんにも安全なおすすめの暖房器具

出来てしまったシミを消したい人が使うコスメ

肌に出来てしまったシミを消すには皮膚科での診察・治療やレーザーでのシミ取りなどの方法がありますが、コスメを使って自分で何とかしてみるという方法もあります。
コスメはあくまでもコスメであって薬ではないので「シミがきれいさっぱり消える」というのはあまり期待できません。
しかし「シミが少しでも薄くなってくれればいい」くらいに考えている人が使う分にはおすすめできます。
コスメを使ってみて納得できなければ、病院での本格的な治療などを検討してみるといいのではないでしょうか。

では肌にできてしまったシミに使うコスメにはどういった種類があるのかというと下記参考サイトでいくつか紹介されています。
>>出来てしまったシミを消したい

紹介されているコスメにはハイドロキノンが配合されているものとそうではないものの2種類があります。
ハイドロキノンはコスメの中では肌への影響が強い成分なので、より一層注意して使用する必要があります。
使用方法を守らなかったり、肌に合わない場合には「白斑」という肌の色が抜ける現象が起こることもあります。
怖い人はまずハイドロキノンが入っていないコスメから試してみるといいでしょう。

リスクを承知の上でハイドロキノン配合コスメを使ってみたい人は下記の点に注意してください。

  • 顔に使う前に腕や脚の目立たない部分でパッチテストを行う
  • なるべく紫外線の弱い時間帯に使用する
  • 使用期間中の外出時には紫外線対策を徹底する
  • アトピー性皮膚炎などの肌の疾患がある人は医師に相談してから使用する
  • 封を開けてからなるべく短い期間に全部使い切る
  • 同一箇所のシミに6カ月などの長期使用をしない

こういったことに注意して使えば、比較的安全に使えるはずです。
コスメなのでそこまで怖がることはないですが、使用上の注意は必ず守るようにしてください。

宮本百合子2

 このかいわいは昼も夜もわりあいに静かなところである。北窓から眺めると欅の大木が一群れ秋空に色づきかかっていて、おりおり郊外電車の音がそっちの方から聞えてくる。鉄道線路も近いので、ボッボッボッボと次第に速く遠く消え去って行く汽車の響もきこえ、一日のうちに何度か貨車が通過するときには家が揺すぶれる。毎夜十一時すこし過ぎてから通るのが随分重いとみえて、いつもなかなかひどく揺れる。それから夜中の二時頃通るのも。
 机に向って夜更けの電燈の下で例のとおり小さな家をきしませながら遠ざかって行く夜なかの貨車の響きをきくともなく聴いていたら、すぐそれにつづくように又地響を立てて汽車が通った。ドドドドドドドと重く地をふるわすとどろきにまじって、わーッ、わーッと人々の喚声がつたわって来た。雨上りの闇夜を、車輌のとどろきとともに運ばれてゆく喚声も次第に遠のいて、ついには全く聴えなくなってしまった。胸のどこかが引きはがされるような感じが苦しくしめつけるのであった。
 私たちの周囲に見る女の生活、あるいは女が社会から求められているものの内容や質も、こういう刻々の感情をはらみながら、その一年間に何と急速に推移して来たことだろう。日本の女性の真実は、家庭にあってのよい妻、よい母としての姿にあるとして、丸髷、紋付姿がそのシンボルのようにいわれていたのは、つい今年の初め頃のことであった。そこで描かれていた女の理想は、あくまで良人の背後のもの、子供のかげの守り、として家庭の敷居内での存在であった。
 ところが夏前後から、街頭に千人針をする女の姿が現れはじめた。良人を思い、子を思う妻と母との熱誠が、変化した社会の事情の勢につれて、街頭にあふれ出た。この時はもう優美な日本女性のシンボルであった丸髷はエプロン姿にその象徴をゆずった。

そして今日どれほどの若い女性たちが、その生活の半分は堅気でありながらかげの半分では時々その道を歩く娘として生きているだろう。あるいはまた、いま歩いている道はまともな道だけれども、実にその道はすれすれに誘惑ととなり合わせていることを感じて生きていることだろう。若い女性たちの中に、この頃、はっきりこういう危険な状態を見分ける鑑識ができてきた。一見ささいなこの実力こそ私たちが大きい苦痛と犠牲を払って進んできた一歩前進の最もたしかな収穫であると思う。若い女性たちは自分もその一人としてきょうの人生を歩いている女性の大群の道幅というものを見きわめはじめてきた。あの道へはどういう過程で入ってゆくか、またこの道はどういう方向へ進むものか、そこを見きわめようとするまじめな眼ざしが見えてきている。これは実に嬉しいことだと思う。そして私たちは決して絶望することは要らないと思う。これらの若い人たちが自分たちの歴史の発展のいちばん確かな道として踏みしめてゆこうとしているのは、真実のある、男女がお互いに正直に協力し幸福に生きてゆく可能の保障された新しい社会関係をうちたててゆく道である。ほんとうに新しい人間らしい仕組みの社会をつくってゆくことに協力し、そうしてつくられる社会の下で更に美しく男女が協力して生きられる人生を計画していると思う。

 わたしたちの文学にふれはじめる機会が、多くの場合は偶然だ、ということについて、深く考えさせられる。わたしの母が本ずきであったために、父の書斎になっていた妙な長四畳の部屋の一方に、そんな乱雑な、唐紙もついていない一間の本棚があった。わたしの偶然は、そういう家庭の条件と結びついたのだったが、ほかのどっさりの人々の偶然は、どこでどんな条件と結び合うのだろう。
 マクシム・ゴーリキイの「幼年時代」は、幼年時代について書かれた世界の文学のなかで独特な価値をもっている。あれをよむと、おそろしいような生々しさで、子供だったゴーリキイの生きていた環境の野蛮さ、暗さ、人間の善意や精力の限りない浪費が描かれている。その煙の立つような生存の渦のなかで、小さいゴーリキイは、自分のまわりにどんな一冊の絵本ももたなかった。ゴーリキイが、はじめて、本をよむことを学んだのは、彼が十二三歳になってヴォルガ河通いの蒸汽船の皿洗い小僧になってからだった。同じ船に年配の、もののわかった船員がいて、一つの本をつめた箱をもっていた。彼は少年のゴーリキイと一緒に、自分の読み古した本をよみはじめ、やがて、ゴーリキイが勝手にそこから本を出して読んではかえして置くことを許すようになった。そして、その男は、ゴーリキイに屡々云った。ここはお前のいるところじゃあない、と。
 ゴーリキイの人生に、こうして、入って来た文学は、大したものではなく、ロシアの民衆の間にある物語の本だった。それにしても、ゴーリキイは、本を読むということが、自分の生きている苦しさや悩みを救い、またその苦しさや悩みについて、ほかのどっさりの人はどう感じ、考え、そこから抜け出そうともがいているかということについて知り、慰めと希望とよろこびを見出したのだった。

宮本百合子

 神よ、余は此の筆にするだに戦きに堪へざる事あり。余は余の謬れるを知る。余は暫く信子氏と相遭はざりき。而して今日偶彼女と遭ひて、余の心の中には嘗て彼女に対して経験せざりし恐しき、されど甘き感情満ちぬ。彼女の一瞥一語は余の心を躍らしむ。余は彼女の面前にありて一種深奥なる悲哀を感ず。彼女のすべては余に美しく見ゆ。余は今に至るまで彼女を愛しき。されども今日は単に彼女を愛すてふそれにては余の心は不満を感ずるなり。さらば余は彼女を恋せるなるか。叱! 神よ、日記は爾が余に与へ給へる懺悔録なり。余はこの紙に対して余の感情をいつはり記すこと能はず。故に余敢ていつはらずして此事を記しぬ。嗚呼。神如何なれば人の子を試み給ふや。如何なれば血熱し易き余を捕へ給ひて苦き盃を与へ給ひしや。如何なれば常に御前に跪き祈りし夫れを顧み給はざるや。余の祭壇には多くの捧物なせる中に最大の一なりし余が laura を捧げたる夫れなりき。而して余は神の供物を再び余のものたらしめんとするなり。汚涜の罪何をもつてかそゝがれんや。ヒソプも亦能はざるなり。苦痛、苦痛、苦痛。神よ、願くば再び彼女と相遭ふを許し給はざれ。願くば余の心に彼女を忘れしめ給へ。彼女の心に余を忘れしめ給へ。彼女に祝福あれ。彼女によき夫あれ。彼女によき子女あれ。而して彼女の天使の如き純潔何時までも地の栄たれ光たれ。直かれ。優しかれ。美しかれ。神よ、余の弱きを支へ給へ。余をして汝の卑きながら忠実なる僕たらしめ給へ。若輩は徒事に趨るもの多し。願くば余を其道より引き戻し給へ。余は彼女を恋せず。彼女は依然として余の愛らしき妹なり。愚者よ何の涙ぞ。」(下略)
「頭痛堪へ難し。今日又余は彼女に遭ひぬ。然り彼女と共に上野を歩しぬ。余は彼女に遭はざらん事を希ふ。余の頭は今克く其戦に堪へず。」云々。

 日本には、治安維持法という題の小説があってよい。そう思われるくらい、日本の精神はこの人間らしくない法律のために惨苦にさらされた。
 先日、偶然のことから古い新聞の綴こみを見ていた。そしたら、一枚の自分の写真が目についた。髪をひきつめにして、絣の着物をきて、長火鉢のわきにすわっている。そして、むかいあいの対手に、熱心に話している。その顔が、横から夜間のフラッシュで撮されているのであった。興奮して、口を尖らかすようにしているその女の顔は、美しくない。せっぱつまって、力いっぱいという表情がある。年をへだて、事情の変ったいま眺めなおしたとき、その写真は私の心に憐憫を催おさせるのであった。
 一九三八年(昭和十三年)一月から、翌年のなかばごろまで、日本では数人の作家・評論家たちが、内務省の秘密な指図で、作品発表の機会を奪われた。そのころ内務省の中で、ジャーナリストたちを集めて、役所の注文をなす会合がもたれていた。そこで、何人かの文筆家が名ざされて、雑誌その他に執筆させないようにといわれたのであった。

 何心なく場内を眺めているうちに、不思議なことに注意をひかれた。その夜は、明治、大正、昭和と経て還暦になった或る洋画家のために開かれた祝賀の会なのであった。この燈火の煌いた華やかな宴席には、もう何年も前に名をきき知っているばかりでなく、幾つかの絵を展覧会場で見ていて、自分なりに其々にうけ入れているような大家たちも席をつらねている。
 司会者の何か特別な意図がふくまれていたのであろうか、
 祝宴の主人公であるその画家の坐っている中央のテーブルは、純然の家族席としてまとめられている。夫人、成人して若い妻となっている令嬢、その良人その他幼い洋服姿の男の子、或は先夫人かと思われるような婦人まで、正座の画家をめぐって花で飾られたテーブルのまわりをきっしりととりかこんでいるのである。
 一応は和気藹々たるその光景は、主人公がほかならぬ画家であるということから、むしろ異様に孤独に、鬼気さえもはらんで忘れがたい感銘を与えられた。